ニュートンと万有引力
タイトルは昨日の次回予告通りにしました。
さて、どんな話ですかね、難しい話じゃないです。
別にニュートンじゃなくても良かったんです。アインシュタインでもファラデーでも誰でも良かったんです。個人的にはファラデーが好きですけど。
1665年、ニュートンは万有引力の法則を発見したと言われています。
リンゴが落ちるのを見て、というのが一般的ですかね。
高校の物理の先生は”そんなわけあるか”なんて言ってましたが、流石に僕も同感です。
先生曰く、月を見て”なんで月は落ちてこないんだろう?”が発想の原点らしいです。
これなら納得できます。
話が逸れてしまいました。こんな話がしたいんじゃないんです。
本題は、何故ニュートンが発見したのか、です。
何故でしょうね。気になります。
ニュートンである必要はあったのでしょうか、また、ニュートンにしか発見できなかったのでしょうか。
そりゃ、早く生まれた方が未発見の事象が多いので、お得ですね。
でも、僕はニュートンが見つけるべくして見つけた訳ではないと思います。
ニュートンファンの方がいたらごめんなさい。僕個人の意見なので許してください。
ニュートンが見つけなくても、いずれ誰かが見つけていたと思います。
それが何年後かは分かりませんが。そんなに遠くないと思います。
ホントは、神からの意思でこの世に万有引力という考えを生ませるために、誕生させた人物がいるかもしれません。それがニュートンかも。
今は、別人がいるとして話を進めます。
そうすると、たまたま先にニュートンが発見してしまったので、その人の生まれた意味、生きる意味はなくなってしまいます。
本人はそんな使命があったなんて知る由もないし、ニュートンがいなくて発見できたかと言われれば怪しいとこですが、生まれた意味、生きる意味を失うのは辛いことです。
自分の生まれて意味、生きる意味ってどうしたらわかるでしょう?
生きる意味は自分で定義できそうですが、生まれた意味はほぼ、不可能に近いですし、間違っているパターンもあると思います。
というか、人間一人一人に生まれた意味、生きる意味をつけるなんて神様が重労働すぎますし、使命のレベルもだだ下がりです。
こういう言葉はよくないですが、意味、使命を持つのは選ばれた人間だけで十分です。
一般人には使命なんてないと思います。
それでも、一般人にも”この時、これをするために生まれてきたのか”という瞬間があるかもしれません。
だいたい、何か成功したときですよね、結婚とか仕事とか。
それを見つけ、間違ってても、使命ではなくてもいいから自分で定義出来たら幸せな人生だと思います。
その時を、待ちましょう。大人しく、焦ることなく。
皆さん、僕の言いたいこと伝わりましたかね?人に説明するのは得意じゃないんです。
ブログやってて致命的ですね。善処します。
まだまだ拙い文章ですが、お手柔らかに。
それでは、この辺で。